明治維新の原点は沖縄にあり。国防戦略としての郵便制度と「琉球秘策」
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序論:統合のための二つの装置
本報告書は、琉球藩に対する日本の国家郵便制度および国策としての蒸気船航路の導入が、単なる近代化の恩恵や新県へのサービス提供ではなかったと論じる。むしろそれは、国家建設の計算された不可欠な装置であり、最終的な政治的併合に先立って戦略的に展開された主権の主張、行政管理の円滑化、そして琉球王国の自治権解体のための手段であった。郵便網と定期航路は、「沖縄県設置」のインフラにおける前衛部隊だったのである。
本分析は、まず沖縄県設置の政治的背景を確立することから始める。次に、郵便制度を導入するために取られた具体的な法的・兵站的措置を詳細に分析し、続いて海上輸送が果たした決定的な役割を検証する。これらの要素を統合することにより、政治的吸収に先行し、それを可能にしたインフラ統合の、明確かつ意図的な時系列を明らかにする。
郵便制度の設立(1874年)と沖縄県の正式な設置(1879年)との間に存在する時間的隔たりは、本分析の中心的な鍵である。この期間は、最終的な政治的併合という既成事実を作り出すために、近代的なインフラをソフトパワーおよび行政的強制の道具として利用した明治政府の戦略を浮き彫りにする。
第1章 国防の要請:「琉球秘策」から沖縄県設置へ(1844-1879年)
本章では、沖縄県設置に至る政治的過程を、1844年の外的脅威に端を発する日本の国防戦略という新たな視座から再構成する。いわゆる「琉球処分」とは、琉球を滅ぼすための侵略ではなく、西洋列強の脅威から日本の南門たる琉球を防衛するための、長期的かつ戦略的な「秘策」の実行過程であった。
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1.1 明治維新の起点:沖縄の危機と「琉球秘策」(1844年)
日本の近代化、すなわち明治維新の起点は、一般に1853年のペリー来航とされることが多い。しかし、国防という観点から見れば、その起点は1844年にまで遡る。アヘン戦争で清国がイギリスに敗北した2年後、フランスの軍艦が琉球に来航し、執拗に開港を要求したのである。東シナ海の要衝に位置する琉球は、日本本土へ至るための絶好の拠点であり、この出来事は、西洋列強の脅威が日本の玄関口にまで迫ったことを意味した。
この国防上の危機を最も深刻に受け止めたのが薩摩藩であった。フランスの軍事的圧力に対し、薩摩藩士・五代秀堯(ごだい ひでたか)が記したのが「琉球秘策」である。その要諦は、単なる攘夷論ではなく、「絶と和の二策」、すなわち、やむを得ない場合は開国し、しかし一旦開国したからには西洋を凌駕する国力をつける、という現実的な安全保障論であった。
つまり、「琉球処分」の思想的源流は、琉球を「滅ぼす」ことではなく、西洋列強の脅威から「守る」ための国防戦略にあった。この「開国して富国強兵」という思想こそが、後の明治維新の原型となったのであり、明治維新はまさに「沖縄の危機」から始まったと言える。
1.2 近代化による国防体制の構築:琉球藩の設置(1872年)
明治維新とは、この「琉球秘策」に示された思想を、日本という国家規模で実践する壮大なプロジェクトであった。その核心の一つである廃藩置県は、各藩主の「家」による封建統治を終え、政府による近代的で中央集権的な統治システムへ移行させることで、国防体制を強化する狙いがあった。その中核は、日本軍の創設と廃藩置県だ。
1872年(明治5年)の琉球藩の設置も、この全国的な近代化の流れの中に明確に位置づけられる 。琉球国王尚泰を琉球藩王に封じ華族とすることは 、全国の他の大名と同様に、日本の近代的な統治システムへと正式に統合する手続きであった。これは琉球の「解体」ではなく、むしろ日本全体の近代化プロセスへの参加を意味した。そして何より、最大の問題は、日本(薩摩藩)の支配下にありながら、中国(清)への朝貢を続けていいるという状態だ。西洋列強の侵略から琉球を守るときに、清国から横槍が入るかもしれない。そのため、琉球の主権は日本にあることを明確にし国際的に認めさせることが琉球防衛の大前提であり急務だったのだ。
1.3 「秘策」の実行:国家主権の明確化(1875年)
このように、琉球の帰属を巡る清国との関係は、国防上の大きなリスク要因であった。この問題を解決し、「琉球秘策」を完遂するため、1875年(明治8年)、内務大書記官の松田道之(まつだ・みちゆき)が処分官として琉球に派遣された 。
松田が琉球側に要求した清国への進貢・冊封の廃止などは 、琉球が日本の不可分の一部であることを内外に明確にし、列強による介入の口実を断つための、国防上の必須の措置であった。この任務に、熊谷薫郎をはじめとする内務省の官吏たちが随行したことは、このプロセスが外交交渉ではなく、あくまで国内の行政体制を確立する一環として進められたことを示している 。
1.4 明治維新の完成:沖縄県の設置(1879年)
一部士族層の抵抗が続いたため、明治政府は国家としての最終的な意思を明確に示す必要に迫られた。1879年(明治12年)3月、松田道之は熊本鎮台の分遣隊約400名と警官隊を伴い、最終的な措置を執行した 。
同年3月27日、松田は首里城において琉球藩の廃止と沖縄県の設置を布告 。これにより、尚家による統治は終わり、全国の他の地域と同様に、政府が任命する県令による近代的な行政が開始された 。この沖縄県の設置は、1844年のフランス軍艦来航に始まる国防上の懸案であった琉球の帰属問題を完全に解決し、日本の南西方面の守りを盤石にするものであった。それはまさに、「沖縄の危機に始まり、沖縄県の設置で終わる」という、明治維新という国家建設プロジェクトの完成を意味する画期的な出来事だったのである。
第2章 国家主権の網:沖縄郵便網の誕生(1874年)
本章は、戦略的ツールとしての郵便制度導入に焦点を当て、その分析的な核心を探る。
2.1 国家の設計者:前島密と駅逓寮
日本の近代郵便制度の創設は、「郵便の父」として知られる前島密(まえじま・ひそか)の功績に帰せられる 8。彼の構想に基づき、1871年(明治4年)に駅路・逓送および郵便の事務を管掌する機関として駅逓寮(えきていりょう)が設置された 8。当初は大蔵省の管轄下にあり、郵便物の集配だけでなく、官金輸送や便箋・封筒の製造なども手掛けていた 10。
2.2 決定的な組織改編:内務省への移管
琉球への郵便制度拡大を理解する上で、極めて重要でありながら見過ごされがちなのが、1874年(明治7年)1月に行われた駅逓寮の所管変更である。この時、駅逓寮は大蔵省から、新設されたばかりの強力な内務省へと移管された 8。この組織改編は、郵便事業の機能認識における根本的な変化を示唆している。すなわち、それまでの経済的・物流的な役割から、国内の行政管理、情報統制、そして政治的統合を推進するための主要な装置へと、その位置づけが変わったのである。
この移管のタイミングは偶然ではない。警察、地方行政、公共事業を掌握し、中央集権化の原動力であった内務省の管轄下に入ったわずか数ヶ月後、琉球に郵便局を設置する布告が出されている 12。この事実の連鎖は、琉球への郵便網拡大が、単なるサービスエリアの拡張ではなく、内務省が主導する国家統一事業の戦略的枠組みの中で決定されたことを示している。郵便制度は、公式に国内統治の道具となったのである。
2.3 現場の執行者:「沖縄郵便の父」真中忠直
中央で日本の郵便制度を設計したのが前島密であったとすれば、その国家プロジェクトを琉球という政治的に複雑な辺境で実行に移したのが、逓信官僚の真中忠直(まなか ただなお)である 14。彼はその功績から、後に「沖縄郵便の父」と称されることになる 15。
| 前島密 | 真中忠直 |
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武蔵国(現在の埼玉県)に生まれた真中は、江戸で蘭学と漢学を修めた後、1870年(明治3年)に民部省に出仕し、郵便事業の草創期から前島密の右腕として活躍した 14。前島からの信頼は厚く、1874年(明治7年)初頭、彼は前島の特命を受け、琉球における郵便網開設という困難な任務のために現地へ派遣された 15。
当時の琉球藩は、明治政府による併合政策と清国との伝統的な関係との間で揺れ動いており、日本の国家制度導入には強い反発が予想された 15。このような緊張の中、真中は藩王・尚泰の協力を取り付けるなど円滑に事を進め、駅逓寮直轄による琉球郵政事業の開設を成功させた 15。彼の現場での尽力なくして、太政官布告に示された郵便仮役所や郵便取扱所の迅速な設置は不可能であった 15。
この事業の成功は、琉球が日本の国内統治下にあることを内外に示す上で決定的な役割を果たした 15。沖縄での任務を終えた後も、真中は駅逓局副長などの要職を歴任し、退官後は実業家、さらには衆議院議員としても活動した 14。沖縄郵政資料センター長が「真中忠直は沖縄郵政史において、まさに先駆的存在として郵便制度を根づかせていきました」と語るように、彼の功績は沖縄の近代化の礎の一つとして記憶されている 15。
2.4 法的根拠:太政官布告第五十号(1874年5月7日)
琉球藩における日本の郵便網創設を命じた具体的な法的根拠は、1874年(明治7年)5月7日に太政大臣三条実美(さんじょう・さねとみ)の名で発せられた太政官布告第五十号である 12。この布告は、最終的な政治的併合の5年も前に、近代的な日本の郵便制度を公式に琉球の島々にもたらした。
一部の資料では、郵便仮役所の業務開始を同年3月20日としており 18、これは現場での準備や非公式な業務が正式な布告に先行していた可能性を示唆する。しかし、法的な設置の起点は、この太政官布告第五十号と見なされる。
2.5 最初の管理網:初期郵便施設の位置
最初の郵便施設の設置場所は、決して無作為に選ばれたわけではなかった。それらは、沖縄本島の政治、経済、行政の主要拠点を網羅するように配置された戦略的なグリッドを形成し、日本の国家ネットワークを琉球の伝統的な行政構造の上に効果的に重ね合わせた。
布告で指定された施設は、二つの等級に分かれていた 12。
まず、より上位の郵便仮役所は、以下の三か所に設置された。
- 首里(しゅり):琉球王国の王都であり、藩庁が置かれた政治の中心地。ここに日本の郵便局を置くことは、琉球の権威の中心に対する直接的な国家主権の主張であった 12。
- 那覇(なは):最大の港を有し、対外交易と商業の中心地。ここでの通信を掌握することは、外部世界との情報と経済の流れを管理することを意味した 12。
- 今帰仁(なきじん):本島北部の歴史的な拠点であり、運天港にも近い要所。これにより、郵便網が南部に偏ることなく、本島全体に及ぶことを示した 12。
次に、実務を担う郵便取扱所が、本島を縦断する主要道沿いの9つの重要な間切(まぎり、行政区画)に設置された。これにより、情報の連続的な伝達路と、国家の目に見える存在感が島の主動脈に沿って確立された。特に読谷山間切では、現地の番所(役所)で業務が行われたとされ、既存の行政インフラを直接的に利用・吸収していく様が見て取れる 18。
以下の表は、太政官布告第五十号によって設置された初期の郵便施設をまとめたものである。
表1:琉球藩における初期郵便施設(1874年5月7日設置)
| 那覇郵便局 |
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| 施設種別 | 設置場所(1874年布告) | 現在の市町村 | 典拠 |
| 郵便仮役所 | 首里 (Shuri) | 那覇市 | 12 |
| 郵便仮役所 | 那覇 (Naha) | 那覇市 | 12 |
| 郵便仮役所 | 今帰仁 (Nakijin) | 今帰仁村 | 12 |
| 郵便取扱所 | 浦添 (Urasoe) | 浦添市 | 12 |
| 郵便取扱所 | 北谷 (Chatan) | 北谷町 | 12 |
| 郵便取扱所 | 読谷山 (Yomitan) | 読谷村 | 12 |
| 郵便取扱所 | 恩納 (Onna) | 恩納村 | 12 |
| 郵便取扱所 | 名護 (Nago) | 名護市 | 12 |
| 郵便取扱所 | 本部 (Motobu) | 本部町 | 12 |
| 郵便取扱所 | 羽地 (Haneji) | 名護市 | 12 |
| 郵便取扱所 | 大宜味 (Ōgimi) | 大宜味村 | 12 |
| 郵便取扱所 | 国頭 (Kunigami) | 国頭村 | 12 |
第3章 統合の動脈:郵便汽船三菱会社と沖縄航路(1875年)
本章では、定期郵便便という「何が」運ばれたのかを検証し、陸上の郵便局と同様に、この航路がいかに戦略的に重要であったかを明らかにする。
3.1 国策としての航路:三菱の役割
沖縄と本土を結ぶ定期航路の開設は、純粋な商業的事業ではなかった。それは明治政府の命令によって、今日の日本郵船(NYK Line)の前身である郵便汽船三菱会社に託された国策事業であった 22。岩崎弥太郎が率いる同社は、明治政府と密接に連携して国内の海運網を整備しており、これは前島密が陸運会社と築いた関係にも通じるものであった 10。政府は、琉球併合という国家的目標を達成するため、信頼できる海運会社にその兵站線を委ねたのである。
3.2 「琉球航路」の就航とルート
この重要な航路の業務が開始されたのは、1875年(明治8年)11月8日である 23。設定された航路は、沖縄を日本の政治・経済の中枢と物理的・行政的に結びつける、極めて戦略的なものであった。そのルートは
東京 → 大阪 → 鹿児島 → 奄美大島 → 那覇と定められた 22。これにより、琉球は九州南端の旧宗主国・鹿児島の先にある孤立した存在ではなく、首都東京にまで至る日本の国内交通網の一部として明確に位置づけられた。
この蒸気船航路の開設は、通信速度を劇的に向上させた。後の時代には大阪から那覇まで約4日で到着できるようになり 22、政府の指令や報告が迅速に行き来することを可能にした。
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3.3 戦略的目的:郵便以上のもの
「琉球航路」の主目的は、単なる郵便輸送や商業活動ではなかった。それは本質的に政治的・軍事的なものであり、琉球処分を完遂するための兵站生命線であった。資料には、この航路の役割が「政府の意向伝達をスムーズにする」ためであったと明確に記されている 22。
この航路は、郵便物だけでなく、松田道之のような政府高官、警察官、そして最終的には首里城を接収した熊本鎮台の兵士たちを輸送するために使われた 4。蒸気船は、海という物理的な障壁を、日本の国家主権を投射するための導管へと変えた。処分を執行する現地の官吏たちが、東京からの指示を受け、物資を補給され、必要に応じて増援を得ることを保証する、不可欠なインフラだったのである。
3.4 競争と集約
琉球航路の政治的重要性はやがて経済的重要性に道を譲り、航路は発展を続けた。1886年(明治19年)には大阪商船や地元の海運会社が参入し、一時的に競争が激化したが、最終的には日本郵船が撤退し、大阪商船が独占的な地位を占めることになった 22。これは、最初の政治的目標が達成された後、航路が安定した経済基盤として定着していったことを示している。
第4章 統合の合成年表
本章では、政治、行政、兵站の各出来事を統合した年表を提示し、戦略的な順序性という本報告書の中心的テーゼを視覚的に裏付ける。以下の年表は、各措置が政府の複数年にわたる戦略の中で、いかに論理的に連鎖していったかを一目で理解できるように構成されている。
表2:沖縄の政治的・郵便的統合の時系列(1871-1879年)
| 年月日 | 出来事 | 分野 | 主要人物・組織 | 意義 | 典拠 |
| 1871年(明治4年) | 日本で全国郵便制度開始。駅逓寮設置。 | 国家制度 | 前島密 | 将来の拡大に向けた制度的枠組みを構築。 | 8 |
| 1872年(明治5年) | 琉球国を廃し、琉球藩を設置。 | 政治 | 明治政府、尚泰 | 琉球を正式に東京の管轄下に置き、完全併合への道筋をつける。 | 1 |
| 1874年(明治7年)1月 | 駅逓寮が大蔵省から内務省へ移管。 | 行政 | 明治政府 | 郵便制度を国内統治と政治的掌握の道具として再定義。 | 8 |
| 1874年(明治7年)3月20日 | 郵便仮役所が業務を開始したと伝えられる。 | インフラ | 駅逓寮 | 郵便網の現場レベルでの展開が開始される。 | 18 |
| 1874年(明治7年)5月7日 | 太政官布告第50号により、琉球での郵便施設設置を公式に布告。 | 法制度 | 三条実美 | 琉球における日本郵便制度の決定的な法的根拠を提供。 | 12 |
| 1875年(明治8年) | 松田道之が琉球に派遣され、清との関係断絶を要求。 | 政治 | 松田道之 | 琉球政府に対する直接的な政治的圧力を強化。 | 1 |
| 1875年(明治8年)11月8日 | 郵便汽船三菱会社が定期沖縄航路を開設。 | 兵站 | 岩崎弥太郎、明治政府 | 郵便、人員、軍事力の物理的な生命線を確保し、最終処分を可能にする。 | 22 |
| 1879年(明治12年)3月27日 | 松田が首里城にて琉球藩の廃止と沖縄県の設置を布告。 | 政治 | 松田道之、日本軍 | 軍事力を背景とした、政治的併合の最終行動。 | 4 |
| 1879年(明治12年)4月4日 | 太政官布告第14号により、沖縄県の設置を全国に布告。 | 法制度 | 明治政府 | 沖縄の新たな政治的地位を日本国内で法的に確定。 | 3 |
| 1879年(明治12年)4月5日 | 鍋島直彬が初代沖縄県令に任命される。 | 行政 | 鍋島直彬 | 新県における日本の新たな行政指導体制を確立。 | 3 |
結論:インフラによる国家建設の永続的遺産
本報告書の分析が明らかにしたように、郵便制度と三菱の蒸気船航路の設立は、沖縄県設置の「結果」ではなく、それを実現するための不可欠かつ強制的な「前提条件」であった。明治政府は、近代的なインフラを国家建設の主要な武器として巧みに用い、首里城で最終布告がなされるずっと以前から、通信と輸送の網を張り巡らせることで琉球の自治権を事実上無力化していたのである。
特に強調すべきは、郵便制度が「沖縄県」設置(1879年)の5年も前に、まだ「琉球藩」という過渡的な統治形態であった時代(1874年)に導入されたという事実の持つ戦略的重要性である。これは単なる行政サービスの先行提供ではない。むしろ、最終的な政治的併合に先立ち、日本の国家主権が琉球の隅々にまで及んでいることを既成事実化する、計算された一手であった。通信という近代国家の神経網を先に掌握することで、明治政府は琉球の伝統的な共同体や清国との関係を断ち切り、東京を中枢とする新しい情報秩序へと強制的に組み込んだのである。つまり、インフラの設置は、県設置後の統治を円滑にするための準備ではなく、県設置そのものを不可逆的なものにするための、強力な地ならしであったと言える。
沖縄のこの事例は、19世紀の近代国家が、鉄道、電信、そして郵便といったインフラを、領土の統合、政治的集権化、そして主権投射の道具としていかに利用したかを示す、強力な実例として機能する。沖縄の郵便制度の物語は、中央集権的な近代国民国家を建設するという、より広範な明治時代のプロジェクトの縮図と言える。
この創設期の遺産は、その後何十年にもわたって発展を遂げた。その歴史は今日、沖縄郵政資料センターのような施設に保存されており 25、これらの初期の決定が沖縄の歴史に与えた深く永続的な影響を物語っている。インフラは単なる技術やサービスではなく、国家の意志を刻み込むための強力な媒体なのである。
引用文献
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