JSN■仮説:沖縄返還は核保有国になった中国への米国からの取引材料

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■仮説:沖縄返還は核保有国になった中国への米国からの取引材料

●沖縄返還時の米中密約

前回のメールマガジンでは、沖縄返還時に米中密約があった事を述べました。
それは、以下の3点です。

「東アジア地域において日本だけは核武装させない」
「米軍は日本から出て行かない、駐留を継続する」
「日本政府には、台湾と朝鮮半島をめぐる問題で発言権を持たせない。」

この米中密約は深く考えさせられる内容です。

●米国は、何故ベトナム戦争中に沖縄を返還したのか?

私は沖縄返還について以前から不思議におもっている事があります。

それは、

「米国は何故ベトナム戦争中にもかかわらず、米軍の重要基地のある沖縄を返還したのか?」

という事です。

まず、当時の国際情勢を確認してみましょう。

1969年1月20日:ニクソン政権成立
1969年9月23日:中国は初の地下核実験に成功
1969年11月21日:佐藤・ニクソン共同声明(沖縄返還合意+『核密約』)
1969年11月7日:沖縄闘争。中核派・ML派・社学同、第4インターの学生・反戦
青年委員会約5千名が首相官邸デモ。
1970年4月24日:中国初の人工衛星「東方紅1号」の打ち上げが成功した
1970年12月26日:ニクソン、パキスタンを通じて中国へメッセージ
1971年6月7日:日米沖縄返還協定調印
1971年7月9日:キッシンジャー補佐官、秘密訪中

まず、ニクソン政権の特徴ですが、ベトナムからの名誉ある撤退を公約にかかげて大統領に当選したことにあります。

日本はベトナム戦争の後方基地であり、中国は北ベトナムの支援国でした。
その中国が1969年9月23日に初の地下核実験に成功させています。

翌年の1970年には人工衛星の打ち上げに成功し、実質核ミサイルの実用化に成功したといえます。この年に中国は核保有国となったのです。

ニクソン大統領は、これ以上ベトナム戦争を継続するわけにはいきませんし、中国との衝突も避けなければなりませんので、中国との友好関係を築く必要性にせまられました。

また、逆に中国の核ミサイルに対する抑止力も必要です。

米国が中国への抑止力に必用なのが、「日米安保延長」と「核密約」です。
これを佐藤首相へ沖縄返還と引き換えに認めさせました。

そして、友好関係を築くために中華人民共和国を訪問、事実上承認しました。
(この時に中華民国との国交を断絶しました。)

私の仮説ですが、米国が中国へもう一つ取引材料としてプレゼントしたものがあったと思います。

それは、「沖縄の施政権を日本に返還する」ということです。

中国にとって、沖縄は戦略上欲しい地域ですが米国の施政権下にある限り手を出すことができません。しかし、日本に返還することにより、工作活動が容易になるのです。

●中国の沖縄属領化工作

中国の沖縄属領化工作は、以下のステップで計画していたのではないかと推測しています。

施政権を日本に返還→安保闘争→安保破棄→沖縄の属領化

事実、沖縄復帰運動は沖縄返還を闘争材料とした安保闘争でした。
そして、復帰後は基地問題を闘争材料とし、現在は普天間基地問題を闘争材料としています。

沖縄返還のアメリカのメリット

沖縄の施政権返還はアメリカにとって一方的に不利なような気がしますが、大きなメリットがありました。ベトナム戦争で財務的にも逼迫していた米国ですが、沖縄を返還することで大きなメリットを享受しました。

それは、日本政府が返還協定第7条にもとづき特別支出金として総額3億2000万ドルをアメリカに支払ったからです。

以上の仮説が正しいのなら、沖縄祖国復帰は手放しで喜ぶべきものではなかったということです。

米国の保護下にあった沖縄が日本に返還されることにより、中国の直接侵略、間接侵略に脅かされる状態に陥ったということです。

本来なら沖縄が祖国復帰した時点で、沖縄の防衛体制(特に先島地方)を強化す
るべきだったということです。

そして、間接侵略に対応するべく、スパイ防止法の制定も必要だったということです。

今の沖縄の危機は、沖縄復帰後に日本政府が何の安全保障政策に手をつけてこなかったことにあります。

私たちにはこれから、一気にそのツケをはらうような活動が求められているわけです。

(JSN代表:仲村)

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