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沖縄県祖国復帰五〇周年記念式典 主催者代表挨拶
初代沖縄防衛協会婦人部長 仲村俊子
沖縄会場の皆様、東京会場の皆様、沖縄県祖国復帰五〇周年、まことにおめでとうございます。私は、仲村俊子と申します。
本日は、これだけ多くの皆様に沖縄県祖国復帰五〇周年を祝っていただき感無量です。
本来であれば、会場にかけつけて、皆様とともに、会場がわれんばかりの大声で、「祖国復帰万歳!」と叫びたいところでありますが、何分、今年満百歳になりますので、体の自由がきかないため、動画メッセージでご容赦いただきたく存じます。
息子からは、皆様のご支援により、沖縄県祖国復帰五〇周年記念映画「しまんちゅの戦後秘史」の第一章が無事完成し、本日会場で販売されていると聞いています。
私は十一年前から、復帰の話をし始めました。
これは自分のやったことを自慢するためではなく、多くの沖縄県民に再び、同じ過ちを繰り返していただきたくないためなのです。だからこそ、当時の状況をできるだけ詳しくお話しをしてきたのです。
詳しくは記念映画をご覧いただきたいのですが、当時の祖国復帰協議会は、「基地のない平和な島」を目指して、返還協定粉砕と、全ての米軍基地の撤去、更に自衛隊配備反対まで唱えていました。
そして、多くの県民はそれを支持してデモに参加していたのです。もし、彼らの主張が実現していたら、今の沖縄はどうなっていたでしょうか!
米国以外のどこかの国の属国になっていたかもしれませんが、間違いなく、今のように平和で豊かな沖縄は存在していなかったでしょう。
そして、本日の祖国復帰五〇周年のお祝いを開催することも出来なかったでしょう。
さて、本日は、祖国復帰五〇周年を盛大にお祝いすることができたことは、このうえない大きな喜びではあります。しかし、近年の沖縄にも、再び同じ危機が訪れているような気がして、年をとっても安心して眠ることが出来ないのです。
そこで、皆様にお願いしたいことがあります。
一、沖縄が永遠に日本であり続けること。
二、沖縄を守ることの出来る日本であること。
本日より、全国の愛国者が一丸となって、この二つの目標を何がなんでも実現していただきたいのです。
それが、実現できれば、私達の子孫は立派な日本人として、日本の繁栄に貢献することができるようになり、日本の繁栄は長く続くものと信じています。最後に、万歳を唱えて、私の挨拶とさせていただきます。
沖縄県万歳!
日本国万歳!
天皇陛下万歳!