「沖縄の子供たちに日本人としての教育を施したい!」屋良 朝苗(やら ちょうびょう)の祖国復帰情熱の原点

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9月8日、産経新聞ネット版に、先月26日に当フォーラムが沖縄県浦添市で開催した「県政奪還県民大会」での参議院議員山田宏先生の講演の概要が掲載されました。

「中国の琉球統治証拠なし」それでも中国の片棒担ぐ沖縄・翁長雄志知事と「琉球新報」「沖縄タイムス」 全国紙ではほとんど取り上げられる...

その中で山田先生は、琉球独立論的な言動をする翁長知事と対比して、昭和28年2月の衆議院文部委員会で沖縄の祖国復帰を訴えた屋良朝苗氏の発言を紹介されました。

屋良朝苗は、沖縄県祖国復帰直前は琉球政府行政主席を、復帰直後は初代沖縄県知事を努め、激動の時代を乗り越えた、沖縄では知らない人はいない戦後の大政治家です。

戦前は、台湾師範学校で教師をしており、戦後は琉球政府の文教部長(日本政府の文部科学大臣に相当)を勤めし、一貫して教育者としての職務に就いていました。

沖縄は、戦争で県土のほとんどが焦土と化し教育施設が壊滅したため、終戦直後は、馬小屋や青空教室のような環境で教育を再開しました。

その後、米軍のコンセット兵舎(かまぼこ隊舎)を仮施設として利用するようになってきましたが、琉球政府の予算は不十分で、正式な校舎、必要な教室を用意するには、相当な年月がかかる見込みでした。

そのような中、1952年12月、屋良朝苗氏を会長として「沖縄戦災校舎復興期成会」が結成され、1953年1月20日に、戦災校舎の復興を全国に訴えるために、屋良朝苗、喜屋武真栄、他3名を本土に送りました。

屋良氏が沖縄に戻ったのは6月23日で、その間の約半年間、全国各地を行脚して、戦災校舎復興のための支援を訴えたのでした。

山田先生が紹介した屋良朝苗氏の国会演説は、この全国行脚を開始して約1ヶ月目の出来事だったのです。

この演説の内容は、現在の私達に「子どもたちに日本人としての教育を施す」ことの重要さについて、目を覚まさせる名演説だと思い、下記に議事録全文を掲載いたしました。

是非、前述した背景を念頭にご一読いただければと思います。

(一般社団法人日本沖縄政策研究フォーラム 理事長 仲村覚)


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衆議院文部委員会
第一類第七号 文部委員会議録第十号 昭和二十八年二月十九日

◯伊藤委員長
これより会議を開きます。

文部行政に関する件を議題といたします。本件に関連して参考に資するため、沖縄諸島における文教についてその事情を聴取したいと存じます。

まず参考人の指名を行います。沖縄教職員会長屋良朝苗君、及び教育研究部長喜屋武真栄君の両君を参考人に指名いたします。

この際お断りいたしておきますが、文部行政について沖縄事情を参考にするため御出席を願つたのであります。
屋良朝苗君。

◯屋良参考人
ただいまご紹介いただきました私沖縄教職員会を代表して参つておりますところの屋良朝苗であります。

本日本委員会におきまして日ごろ私どもが悩んでおりますところの深刻な問題について訴えを申し上げ、お願いをする機会を与えてくださいましたことは、終戦以来祖国と切り離された悲境にある私どもにとりましては格別な感激であり、光栄でありまして、ここに深甚の謝意を表する次第であります。

この機会を与えてくださいましたことは、皆々様が沖縄のことにつきまして非常に御関心を払つておつてくださるということの現われでありまして、私は沖縄全住民を代表いたしまして、その御厚意に深甚の感謝の意を表する次第でございます。

さて悪夢のような十数年の歳月は、御同様有史以来のいばらの道でありましたが、今や祖国は晴れて主権を回復し、独立第二年を迎え、いよいよ国運発展の基礎を固められつつありますことはまことに喜びにたえず、衷心から祝意を表するものであります。

しかしながら翻つて沖縄の現状を顧みますと、今次太平洋戦争におきまして、物心両面ともに灰燼的な打撃を受け、さらに戦後長い期間完全なる占領行政の特殊事情のもとに置かれて参つたのであります。いままた変転きわまりない国際情勢の俎上に載せられて、将来についても確たる見通しも立たない苦境に立つて懊悩(おうのう)している次第であります。

この複雑混迷のさ中にあるだけに、真に再建の基礎をつちかう教育の持つ意義は、実に重かつ大なるものがあると確信いたすものであります。

沖縄の教育者またこのことを確認いたしまして、あらゆる困苦欠乏に耐えながら教育を守つて行くためにいばらの道を闘いつつありますが、教育を阻むあらゆる過酷なる条件にさいなまれまして、内容的効果をあげ得ないでまことに苦慮しているのであります。

たといいかなる環境の中にあつても、教育の対象である青少年は絶えず成長を続けて行くものであります。そしてその成長を助ける教育はいわゆる百年の大計のもとに行われる永遠のものでなければなりません。従つて教育こそは、永遠の基礎の上に本来の姿において打ち立てられなければならないと思うのであります。

しかるに沖縄の置かれている国際低地位はまつたくこの基本的条件を不可能にしているのであります。すなわち沖縄の現在の立場はまつたく畸形的不明瞭な仮の姿でしかないと思うのであります。そのような基礎の上に真実永遠の教育の建設は遺憾ながら不可能であります。

沖縄の歸属の問題については国連憲章や平和条約締結の根本精神たる人道主義的立場からしても、また民族的文化的歴史的な関係からしても、さらに沖縄県民の心情からしても、祖国日本に復帰すべきことはきわめて当然であつて、本質的には何らこれを阻む理由はないと信じるものであります。われわれはこの確固たる大前提に立つて若い世代の教育を進めて行きたいのであります。

すなわち形式的にもまた実質的にも真実の日本人として祖国の児童生徒と同一の基礎や立場に立つて教育を施して行きたいのであります。

しかるに冷厳なる現情勢はこの押えがたい欲求を完全に阻んでいるのであります。われわれは何とかしてこの障害を排除して、畸形的な架空的な逆境から脱却して、永遠に向つて伸び行く子供たちを一日も早く本然の姿において育て、素直な成長に空白を残さないように熱願しているものであります。それこそは一日も早く沖縄が元の沖縄県として祖国に復帰することによつてのみかなえられることであります。

およそ個人にいたしましても、戸籍のない子供は肩身の狭い浮浪児であると存ずるのであります。そのような境遇の子がはたして素直順調に成育して参りましようか。同様に社会にしても現実的に国語があいまいになつている社会は国際浮浪的な存在であり、そのみじめなる境遇においてどうして社会も人も本来の成長発展をとげることができましようか。

このようなぬえ的立場に起因して、われわれは教育上数々の障害を身をもつて体験しつつあるのであります。たとえば今沖縄の子供たちが使用している日本地図から沖縄の地図は消えております。また戦争は終結したにかかわらず、国旗さえ自由に立て得ないのであります。その上に祖国の子供たちと共通の国民行事さえ持ち得ず、さらに何ら国家的恩恵にあずかり得ないのであります。かかる境遇にある子供たちがどうして真実の日本人として素直に成長して行くことができましようか。

皆様かつてこの島は、かのアメリカの国運を賭しての大攻勢から、血をもつて祖国を守つて来たわが将兵十万余、無辜(むこ)の住民十六万の骨を埋めたゆかりの地であります。それなるがゆえにこの島が犠牲となつた巨万同胞の血のあがないのかいもなく、いつまでも祖国より分離されておりましては、地下の戦没者の霊も無念の血の叫びを続けていることでありましよう。

また時勢の流れには当時としては抗するすべもなく、かの悲惨なる戦争に参加して、いたいたしくも祖国に殉じた青少年男女学徒等の最期をわれわれは絶対に忘れることはできません。彼らは愛する祖国を守るためにこそ、純情一途に最後まで祖国の勝利を信じつつ、あたら花のつぼみのようなうら若い身を、かの映画「ひめゆりの塔」で見られますように祖国に捧げたのでありました。われわれはいかなる障害を乗り越えても彼女らの純情を生かしてやりたいのであります。このことはわれわれ沖縄教育者の至上崇高なる課題であります。すなわちわれわれは彼らが文字通り身をもつて守つて来た祖国を失わしたくはないのであります。

国政に参与せられる皆様、どうぞこの島に眠る戦没者の魂の声を聞きとつていただきたい。また条件はどうであろうと、いやしくも祖国を有し、それと一連の共通の文化と歴史を持ち、日本人としての民族的矜持を有する沖縄の住民が、どうしていつまでも異民族の統治下に満足しておられましようか。どうぞ沖縄の住民の立場になつて考えていただきたいと思うのであります。

戦争以来今日まで沖縄の同胞が背負つて来た十字架はあまりにも苛酷であつたと思うのであります。天道正に非なりと申したいのであります。しかしこの混迷のさ中に立つておりましても、われわれは常に祖国の独立を祝福しつつ、また祖国復帰の悲願を堅持しつつ、郷土再建に努力を続け、米国もまた援助は続けてはいますが、戦災があまりにも甚大であつたため、復興は遅々たるもので、祖国の復興の目ざましさに比すべくもありません。終戦八年間におよそ主要耕地の三〇は軍用地となり、残り七〇も十分耕作されず、生産はきわめて不振で、戦前主要農産物であつた黒糖のごときいまだ二〇しか復興していないのであります。輸出産業の復興も三〇以下、住宅の復興二〇以下、教職員の待遇は戦前の五七以下、校舎の復興は生徒一人当り〇・五坪位を目標にしても四〇以下で、復興の前途は実に遼遠であります。

なかんずく、教育復興の程度に至りましてはさんたんたる実情と申すほかはありません。
たとえば教職員の資質について見れば、戦争のため当時の教員数の二五に及ぶ中堅有能な教師と師範学校の男女生徒四百名を失い、すでに戦後教育の人的要素に補いがたいギヤツプを生じ、また生き残つて教壇にもどつた教員も極度の生活の困窮から他の社会に転じ、終戦以来今日までのその数二千二百名を算し、これは現在教員数の五八%に及んでいるのでございます。教職員の勤務年数も戦前の十八年に対し戦後は八年に短縮しており、終戦後初めての教壇経験者、すなわち数年以下の勤務者が五五%を占めているのであります。

教員組織も従来の師範学校卒業者が小学校で三〇%、中学校で四八%で、いかに資質が低下し、かつ教育界が不安動揺しているかがうかがえるのであります。

この教員の不足と資質の低下を補うにも、戦後師範学校は跡絶え、教員養成機関は完備せず、いずれも弥縫(編注:びほう=一時的に取り繕うこと)的暫定措置によりまして、その補給を糊塗している現状であります。

図書館その他設備の不備と指導者の欠乏、本土との内面的つながりの欠如などで、教員研修の機会も乏しく、さらに教員の生活がきわめて不安貧困のため、いよいよ資質の向上の障害となつているのでございます。

すなわち教員の給与ペースは現在沖縄で使用しているB円の三千六百円、日本円に換算すると一万八百円で、そのほかは家族手当もなければ勤務地手当もなく、一文(編注:いちもん=昔の少額貨幣単位)の賞与もありません。

消費物資はほとんど本土より輸入されますが、物価は平均して本土の一・五倍くらいで、その物価換算率からすると、B円の三千六百円は日本円の七千二百円の価値しかなく、沖縄教職員は本土で生活するとして日本円の七千二百円べースに該当する悲惨な給与であります。

これは食生活の最低を保障できない程度であって、一方戦争のために、ほとんどの者は一切の住宅、衣類、調度を失っていますので、そこから来る生活費の加算を考えると、その困窮は言語に絶するものであります。それに恩給法、共済会法等の社会保障の制度がないので、教育者の生活は極度に不安に満たされ、暗澹たるものがあるのであります。

次に、校舎の問題でありますが、今沖縄の住民が何よりも優先的にその復興を望んでおり、そしてそのために非常に苦しんでいるのは、実に学校校舎の復興であります。

戦争のために校舎は百パーセント破壊し、終戦以来露天や天幕教室、トタンぶき、かやぶき 校舎と変遷、難渋しつつ教育を続け、一方アメリカのガリオア援助によって暴風に耐える普通校舎も建ちつつはありますが、被害が甚大なため、その建設また遅々として進まず、終戦八年の今日いまだ生徒一人当り〇・五坪を目標にしても、その四〇%に達せず、残り六〇%の学級の子らは、多くは板壁もなく、窓ガラスも床板もないかやぶきの土間教室で風雨の支配に苦しみつつ学業を続けている気の毒な状態であります。

ことに毎年二、三、回襲来する台風は、この粗末な校舎を倒壊し、これが建直しには父兄も奔命に疲れ、児童またそれを建て直すまでは、露天で授業をするか、休業する以外処置ないのであります。今すべての学級に永久校舎の一教室を与えるとして、日本円三十億を要し、沖縄の現状からし、いかに希望的に観測しても、実に十年以上を要すると当局は見積つています。

沖縄が現在のまま放置されていたら、この問題の解決はまったく不可能であり、従って沖縄の教育復興もまた絶望せざるを得ないのであります。 校舎と同じく、設備ももちろん貧弱不備で、その程度は祖国の皆様にはとうてい御想像も及ばないと思うのであります。

戦後の復興いまだしとはいえ、新生祖国の児童らが恵まれた条件のもとに嫡々として幸福に教育を受けつつあるに引きかえ、この校舎にこの設備及び砂漠のような荒漠たる悪環境下実に恵まれない条件のもとに不自由な教育を受けつつある沖縄の子ら、いかに戦争のためとはいえ、あまりにもその影響が苛酷なほど片寄りすぎていることを残念至極に思うのであります。

どうぞ皆様のお力によつてこの戦災校舎を復興し、少しでも沖縄の不遇な児童らに明るい希望を与えてくださるよう、私は懇請申し上げる次第であります。

また教育環境についても、何しろ畸型的な基盤に立つ社会なるがゆえに、世相きわめて不健全であり、その所産として青少年悪質犯罪、婦人犯罪は加速度的に増加の一途をたどり、その恐るべき影響から子供らをいかに守つて行くかは教育者の苦悩の種であります。

かく物心両面あらゆる不利な条件の中で行われる教育ゆえに、教育者の血のにじむような努力にもかかわらず、本土との教育のずれはおおうべくもなく、教育者はその責任に懊悩(おうのう)いたしている次第であります。

悲惨なる戦争、悲惨なる敗戦の結果、今や太平洋の孤児として里子的存在に立つに至った沖縄の住民は、物心両面かく有史以来のいばらの道を闘いつつあるのでありますが、対決する諸問題は、現地だけで解決できるものではありません。しかるにその根本的解決なくしては、沖縄は絶対に救われないのであります。その根本的解決こそ実に沖縄の祖国への復帰あるのみです。なかんずく真に日本人として基盤をつちかい得る教育のごとき一日も早く祖国に直結してくださることであります。

皆様どうぞ今沖縄の悩みつつある諸問題を皆様のお力により解決していただき、悲境にある住民に明るい希望を与えてくださるよう衷情を披瀝して、重ねてお願い申し上げる次第であります。

これを要するに、
一、沖縄の完全祖国復帰を実現するため、万全の措置を講じていただきたき
二、祖国復帰の前提として、一日も早く沖縄の教育を完全に祖国の行政に直結せしめるため、万般の措置を講じていただきたい。
三、沖縄の戦災校舎の復興を援助せられる措置を講じていただきたい。

以上簡単でございましたが、沖縄の教育の状況の一端を披歴申し上げます。

なお沖縄の教育等は、やはり本土の教育に準じまして、六・三・三・四制度でございます。教科内容も、教科書もまつたく本土と軌を一にしておるのでございます。

◯伊藤委員長
次は、最近沖縄へ行つて帰つて参られました南方連絡事務局長の石井通則君からお話を承りたいと思います。
石井通則君。

◯石井説明員
私南方連絡事務局長石井でございます。
私の局におきましては、南方地域との文化に関しましては、文化の交流に関する事務の推進、調整、あっせんというようなことをやつております。教育行政の直接の仕事は文部省が担当されますが、文部省に対しまして、現地の要望を聞き、現地に即した何らかの措置が日本政府において講ぜられないかというようなことを要望いたしまして、必要な措置を文部省にやつていただくということになつております。

私どもの局に付属いたしまして、那覇に南方連絡事務所というものを設けております。また奄美大島の名瀬にその出張所を設けております。

この那覇南方連絡事務所は、文部行政に関しては直接には文部大臣の指揮、監督を受けるということになつております。ただ文部大臣が指揮監督する場合におきまして、総理大臣に協議をして行う、こういう立場になつております。

私どもは現地の実情をいろいろ調査し、また現地の要望を聞きまして、日本政府といたしましてどういうことが実施でき るかということを絶えず検討いたしまして、必要な措置を文部省に依頼しているような事情でございます。

私昨年現地を調査いたしたのでございまするが、その状況は大体今屋良沖縄教職員会長が話された通りでございますので、特に私からつけ加えて申し上げることはございませんが、特に今お話の中にありましたことで、二、三 つけ加うべき点を申し上げたいと思います。

南西諸島は、御承知のように、条約第三条によってアメリカの行政のもとにありますが、これは決してこの領土権を失つたものでないのでありまして、日本の領土権が残存している、いつか日本の領土に完全に復帰するということが予定されているということ、それから南西諸島の住民は日本の国籍をはつきり持つているということでございます。

この点につきましてはいろいろ各方面にまだ認識が足らぬ点があるようでございますが、アメリカ側におきましても、日本政府が、南西諸島の住民は日本の国籍を持つている日本民族であるということを、議会その他において答弁することを了承いたしておるのであります。

ただ戸籍に関しましては、現在戦争直後のニミッツ布告というものがありまして、そのニミッツ布告によりまして、その当時実施されておりました日本の法令自体がそのまま適用される。もちろん軍事的必要によりまして修正は行われまするけれども、その修正をしない限り、その当時の法令が実施されておるということでありまして、従いまして現地におきましては、原則として日本の旧民法、旧戸籍法が実施されておるのであります。

ただ戦災によりまして、戸籍台帳をなくしました沖縄本島におきましては、臨時戸籍事務が取扱われまして、非常に簡単な住民登録みたいな戸籍が実施されております。私どもは日本の領土であり、日本の国籍を持っておるという建前のもとに、できるだけ日本の行政の中で可能な部分は、南西諸島に及ぼせるようにというような気持で実施いたしておるのであります。

教育面に関しましては、先ほど屋良会長から話がありましたように、校舎の復旧に関しまして、できるだけこれに対して本土側の援助をしなければならぬということを考えております。ただしかしながら現在のところにおきましては、日本政府の予算をもつて補助を行うということにつきましては、現地が反対の意向を示しておりますので、別途の方法を講じて行かなければならぬと考えておるのであります。

それから南西諸島の教員の質の向上なり、あるいは学生生徒の日本における上級学校の進学等につきましても、いろいろ政府としてできる限りのことを考えておるのでありますが、さしあたり、昨年の四月から南西諸島の教員を選抜いたしまして、研究教員として日本に引受けて、約六箇月の教育を文部省でやっていただきまして、交替々々に返しております。これは昭和二十八年度も継続いたしたいと考えております。

また学生の進学に関しましては、従来アメリカ側の資金によりまして、琉球政府におきまして選抜した者を日本の大学に引受けて教育いたしておるのでありますが、これは現在約三百三十名くらいの南西諸島の学生生徒が、いわゆる琉球政府の契約学生として当地に参つて教育を受けておるのであります。

しかしながら、だんだんアメリカ側の援助資金も減少いたして参りまして、今後その継続が困難であるというような状況に立ち至つておりますので、二十八年度からは文部省の予算で約五十名を向うから選抜して、日本の本土の大学に進学させるような予定で進行いたしております。

そのほか、あるいは青年団関係、体育団体の関係その他あらゆる民間の教育文化の諸団体に関しましては、できる限り本土と南西諸島との緊密なる連繋を保持して、本土における各種の行事に南西諸島の方々が参加できるような方法を講じつ つあるような状況でございます。

なお御質問がございますれば、いろいろ御答弁申し上げますが、簡単でございますが、一応現状を御参考のために御説明申し上げた次第でございます。

◯北委員
ただいまの御説明のうちで、日本政府の予算で援助することは現地が承諾しないというのは、アメリカ軍の話ですか。現地というのは住民の意味ですか。

◯石井説明員
アメリカの民政府でございます。

◯屋良参考人
先ほどの御質問でございますけれども、私たちが教職員といたしまして、校舎の復興を文部省に請願いたしたことがございます。これは一昨年でありますが、当地軍政府にもお願いしたことがございますが、そのときにはガリオア資金で建ててやるからそれには及ばぬという御返事でありました。しかし最近フオスター大佐という責任の方が校舎建築について日本の援助、これは政府でありますか、民間でありますかははつきりしませんが、日本の援助に対してはさしつかえはないとうことをお答えになったということが新聞に報ぜられて、私たちがここに来てから送られて参つております。

◯松本(七)委員
南方連絡事務局の方に少し伺っておきたいと思います。
先ほど現地の要望を事務局の方から文部省に伝えて善処方を依頼したということですが、どういう具体的なものを要望され、文部省としてどの程度それを善処しておるか、そういう点と、それから今の問題ですが、日本政府が予算措置を講ずることが禁ぜられておるので、その他の方法で何らか考慮されるというようなお話ですが、どういう方法があるのか、現にとっておられるのか、その二つをお伺いいたします。

◯石井説明員
現地の要望に関しまして、いろいろ文部省に御依頼しておりますことは、たくさんございますが、まず先ほど申しました日本政府で補助金を出すということを、従来アメリカの民政府が反対しておつたというのは、いわゆる向うの政府に補助金を出すということでございまして、向うから来る学生につきまして日本政府がこれを受入れて、ここでその生活費あるいは学資を支給するということ、こういうことについては反対はございません。

これは従来はアメリカの資金で実施しておりましたのを、向うの方の経費が非常にきゆうくつになつて出せないということになりましたので、今度文部省の予算に計上して、南西諸島の学生をこちらで教育してもらう、これが一つの事項でございます。

それから南西諸島におきましては、日本の教科書を使っておりますが、この教科書は従来なかなか必要な部数が入らなかつたり、あるいはまた時期的に入らなかったり、あるいはまた余分に入りまして、それを返還できないというようないろいろな問題がありまして、この点につきましては、いろいろ文部省にお願いいたしまして、教科書が順調に必要な部数がおおむね満足する状況に送られるようになって来つつあります。

ただ若干為替関係で問題がございますが、この点も逐次解決してもらいたいと考えております。

なおまた従来教科書の運賃が相当高かつたのでございますが、文部省のお骨折りによりまして、教科書の運賃も安くなつております。それからまた現地におきまして、いろいろの教育上の資料、あるいは教育関係の会議に参加を南西諸島が非常に要望いたしておりますので、この点は文部省にお願いいたしまして、南西諸島で要望されております各種の刊行物はお送りするようにいたしております。

それから各種の行事もできるだけ文部省から通知していただくようにいたしております。それから校舎の復旧の経費に関しまして、先ほど屋良会長から、南西諸島で了承するというようなニュースがあるというお話でございますが、この点われわれまだ調査しなければわかりませんが、これは現在のところ日本政府の予算で琉球政府に補助をやり、その校舎復旧の経費に充てるということが困難な模様でございますので、できるだけ文部省とも協議いたしまして、現地の要望に沿って何らか民間の浄財を集められるということについてわれわれも協力して行きたい、こういうように考えております。大体そういうことになっております。

◯水谷(昇)委員
私は一昨年二月に政府を代表して沖縄に行ったことがあるのでありますが、そのときに屋良朝苗君はどういう職にあったのですか、一応参考に伺いたい。

◯屋良参考人
当時は文教部長としてあつちの文教行政に携っておりました。

◯水谷(昇)委員
その当時文教部長をしていた屋良氏等の御案内によりまして、私は沖縄島全島ほとんど飛び歩きまして、小学校や中学校あるいは各種 の団体等に顔を出して、いろいろの陳情なり意見なりを聞き、また視察をしたのでありますが、ただいま屋良氏から、いろいろ御報告になった通りであります。

私の行ったときには、校舎のごときは終戦後三〇%ぐらいに復興をしておつたのでありますが、一昨年の二月から今日までまる二箇年たっておりますが、このまる二箇年たった間に約一〇%しか復興ができていない、こういう実情であるようでありますが、私が沖縄へ行きました最も重要な職責は、あそこに琉球大学というのができて、これはアメリカ政府がつくつて献納をした、その開校式に出席したのでありますが、その当時琉球に大学というものはなかつた。ところが首里の荒廃した戦災のあとにそういう大学をつくつてくれるというアメリカの好意に対しては非常に感激したものでありますが、その後だんだん考えてみると、アメリカ政府というものは教育に対してはわれわれ日本人と大分趣を異にして、教育は地方に委譲をするというようなかつこうからか、あまり政府がめんどうを見ない。これは設備の点においてもまた教職員の待遇の点においても同様の感じを持つておるのであります。

従って沖縄、琉球全体の教職員、教育関係者はこのアメリカの教育に対する態度については好感を持つていないということが事実である。そこにこういう陳情の起る原因があると私は考える。私の行った当時は、沖縄住民のすべての意向は日本に復帰したいということである。そのうちでも特に教育についてはぜひ日本と同様にやつてもらいたい。

そこでいろいろの陳情を私は承りまして、当時のヴイトラー副長官にも面会をして、いろいろ私の視察した点から教育に対する意見を率直に申し述べたのでありますが、当時のヴイトラー副長官は原則としては全部賛成をしてくれた。ただちにこれを実現することは困難であるが、徐々に御意思に沿いたいということであった。それがだんだんに実現せられまして、先ほど御報告の中にありましたいわゆる研究教員の派遣ということも実現した。それから自費留学生を許可をして来た。それから文部省の費用で留学生に援助をするということも二十八年度から実現をすることになった。その他教科書を送ることだとか、いろいろの印刷物を送るようなこと、これらは当時の御要望がだんだんに実現したものでありますが、今日は御承知の通りに日本が独立をいたしましたので、この際屋良君からるる陳情せられましたようなことは事実でありますから、沖縄を視察してかの地の実情をよく聞いて参りました私からも委員の各位に特にその事情を肯定していただきまして、皆さんに特に今後の善処方を御依頼をする次第であります。どうぞよろしくお願いいたします。

◯松本(七)委員
これは結局はその根本を解決するために沖縄の領土の完全な復帰ということ、できなければ教育行政だけでも日本にというようなことをやらなければならぬ。これは国会としても今後大いに大きく取上ぐべき問題であろうと思うのですが、それについて一つお伺いしておきたいのは、沖縄にいるアメリカの現地軍がおそらくあらゆる実情、ことに教育の実情等をアメリカ本国にいろいろ報告をしているだろうと思う。しかしそれがどのような報告がなされておるかということ、それにはいい面ばかりが報告されるということはありがちなのですが、南方連絡事務局としては、日本政府を通じてそういう実情をアメリカ本国に知らせるような努力もされておるのかどうか、この点を伺っておきたい。

◯石井説明員
南方連絡事務局といたしましては、現地のいかなる報告がアメリカ本国になされておるかは全然把握が不可能でございましてわかりませんが、私ども現地の問題に関しまして、特に外交の問題になりますと、外務省の所管でございますので、教育行政その他あらゆる現地の実情を外務省に報告し、外務省がアメリカの大使館あるいは本国政府と折衝する場合のいい参考資料になるように努力いたしております。

なおまた外務省が折衝される場合につきまして、南方連絡事務局といたしまして現地で把握した結果から生れました意見は絶えず外務省に申し出ております。私どもから直接アメリカ側に報告することは、全然やっておりません。

◯北委員
石井局長さんにお尋ねしますが、数日前の英字新聞に報告が出ておりましたが、沖縄からアメリカへ行つておる使節団がアメリカの有力者、ことにタフトに会って沖縄の事情を陳情したところが、タフト上院議員は非常に同情を持って、主権の回復に努めるという明言をしておる。私は現地と日本当局との交渉だけでは、小さい問題は片づくかもしれぬけれども、大きな問題はアメリカの上院議員あたりのところへどしどし沖縄から有力者を派遣いたしまして、そしてアメリカ本国政府を動かすというのが一番近い道だと思う。

ことに御承知のごとく、沖縄と小笠原島をアメリカが占領したのはヤルタ秘密協定によったもので、十八年十一月のカイロ宣言では、御承知のごとく日本処分法を蒋介石とチャーチルと ルーズヴェルトが研究して発表したのであるが、それには、戦争によって拡大した領土、及び貧欲によって強奪した領土--おそらくは満州国のことでしよう、これを返せというだけであって、日本固有の領土をとるということは、カイロ宣言にはなかったのです。

御承知のごとくヤルタ会議は二十年の二月、秘密協定が行われて千島、樺太 をロシアに渡し、アメリカはおそらくは沖縄や小笠原をとるという協定だったのでしよう。ところがアメリカが秘密協定を破棄するという線に進めば、ロシアに樺太と千島の問題を解決させると同時に、自分らも当然沖縄と小笠原島を放棄しなければならぬはずです。タフトはヤルタ協定排撃の急先鋒でありまして、タフトはその立場からおそらく主権を回復することに好意を持つて明言されたと思う。

新聞には 沖縄の代表者の二人の名前が出ておりました。私今記憶しておりませんが、そういう事情が伝わっておりますか。

◯石井説明員
その事実は私どもも承知いたしております。それは当地におりまする元首里市長の仲吉良光さんという方がタフト上院議員に詳細な陳情書を出されまして、それに対する回答でございまして、よく承知いたしております。

◯坂本委員
二、三点お聞きしますが、お答えは簡単でよろしゆうございます。

第一は、教育行政について沖縄島民は独立してやつておられるかどうか、アメリカ軍から相当干渉があるかどうかということです。
第二は、教職員の養成はどういうふうになっておるか。先ほどある一部の者が研究生として本土に来られるということは聞いたのですが、それは一部分ですか。その教員の養成の問題。
第三に、高等学校の卒業者などの就職の関係はどうなのか。
もう一つ、これは根本の問題ですが、教育経費の問題は沖縄政府が負担しているのか、あるいはPTAなりで負担しているのか。先ほど日本の国内からの補助を拒絶しておるということがあったのですが、沖縄島内においてはどういう操作で経費の分担その他をやつておられるか。この四つの点をお伺いいたします。

◯屋良参考人
教育行政に対して干渉しておるかという御質問でございますけれども、行政機構をつくりますための、たとえば教育法規の制定などには相当干渉がございます。従って向うの現状といたしましては、たとえば教育委員会の市町村までの設置は非常に困難である、あるいは教育税というものの徴収も困難であるというふうに、非常にみんなが迷っておりましたけれども、これも軍令によって制定されております。こういうふうに教育行政機構を打立てることにつきましては相当の干渉もございます。ただ教員の任免とかいつたようなものにつきましては、その法規の範囲内においては自由にできるような次第でございます。

次に教員養成の御質問でございましたけれども、先ほど説明を申し上げました通り、戦争のために師範学校があと絶えております。その後は文教学校と称して一年間暫定措置で教員を養成して出すという機関が昭和二十四年まで続いて参りました。昭和二十五年に琉球大学というものが建ちまして、そのときに文教学校というのはなくなりまして、そこに教員訓練所というのが五箇所設定されました。それは指導は小学校の先生方がやられるというような仕組みのもので、これも半箇年間、高等学校卒業者やあるいは一、二年間教育経験のあります者を訓練いたしまして、成績のいい者に免状を与える、 こういったような趣旨でありました。

そこでこういった暫定措置では、どうしても教員の資質を高めることはできないと思いまして、われわれは文部省に学芸大学の設置を強力に陳情いたしました。しかしそれは実現しませんで、琉球大学に師範科というものが去年の四月から設置された。しかしそれは八十名しか採用いたしません。戦前 沖縄県だけで毎年送り出す卒業生が二百五十名、それから奄美大島が九十人くらいあつたそうでありますから、南方諸島全部では三百四十名くらいの教員を送り出さなければいけなかったはずであります。しかるに琉球大学が養成するといたしましても、八十名を毎年出したのでは焼石に水といったような感じがする次第であります。

それから高等学校の卒業生の就職問題に関する御質問でありますが、これは非常に困っております。しかし今いろいろの軍作業といったような労務があつたりしまして、そういつた事務面に行くとか、あるいは英語訓練所というのがあって、これは主として英語の話方でありますが、そこで半箇年訓練するとか、そういつたところに行ったりいたしまして、卒業いたしますと通訳であるとかいうふうにして、軍労務に就職するようにしておりますけれども、しかしながらいずれにいたしましても高等学校の卒業生は就職難でございます。それで高等学校の卒業生は、たいがいは祖国本土に対する留学を非常に希望いたしまして、本土へ本土へというところの希望は、アメリカに留学するよりもはるかに強い念願なのであります。

それから教育の経費についてでありますが、大体は教育経費は住民の負担によつてまかなつております。たとえば去年政府の予算が十四億ありましたうち、一般行政費に対する補助がアメリカから三億五千万円ございました。これはB円でございますが、その三億五千万円の補助のうち、校舎建築に大体八千万円ぐらいは援助される予定でありました。なおそのほか、教員訓練所あたりの人件費が若干三億五千万円から出ることになっておりまして、あとは住民負担の行政費によつてまかなっております。なおそれでは足りないので、PTAが大体二割から二割五分にも相当する教育費の負担をしております。それから市町村も、やはり二割 から二割五分ぐらいの負担はしておると思つております。以上であります。

◯伊藤委員長
それでは委員長からお諮りいたしますが、本日は気の毒な占領下の教育行政のもとにある沖縄の事情を聴取することで委員会を開いたのでございますが、昨日夜野党の方から、三派提案で地方教育委員法の改正案が出たことを承りました。そしてこれを本日説明だけさせるというお話でございますが、私もきよう初めて公報で見ましたので、昨日は沖縄の事情を聞くということだけを了承して、--そういう要望もございましたし、帰ったわけであります。そこで意見が対立しておりますので、しばらく休憩いたしまして、ただちにここで理事会を開きたいと思います。

◯松本(セ)委員
その問題は後ほど協議するとしても、この沖縄の問題のけじめをつけて--せつかく参考人も来ておられるのだから、ちやんとあいさつして、けじめをつけてからにしていただきたい。

◯坂本委員
文教行政について沖縄の問題だけという委員長の発言があつたのですが、われわれ理事にも何ら諮られていない。われわれはきようは文教行政についての委員会だと、かように承知しております。従ってわれわれとしましては、文教行政についてきようは質疑をしたいと思ってやって来たわけであります。もし沖縄の問題なら沖縄の問題だけをやりたいというならば、やはりわれわれ野党側にもしかるべく相談がなければならぬ。

文教行政というので委員会が開かれるとすれば、われわれ委員としてもそれに対する準備もして参つておるわけでありま す。そういう点については、やはり議事の運用について今後しかるべく合理的にやっていただきたい。

◯伊藤委員長
承知いたしました。

◯辻原委員
ただいま坂本委員のお話がありましたように、すでに各委員に通知されておることでありますし、予算上相当の問題も考えられますので、この点はただいま政府委員の方の出席もありますから、ただいま委員長が諮られておりますように、一応体憩をして、後ほど相談をして、本日出席を求めておいて、なお委員会は継続して、それを午後行う、かようにおとりはからいを願いたいと思います。

◯伊藤委員長
沖縄の参考人の方々にはたいへん御苦労でございました。 われわれ委員会も沖縄の教育振興のために善処したいと思いますが、いかがでございましようか。

[「異議なし」と呼ぶ者あり]

◯伊藤委員長
それではしばらく休憩いたします。

午後零時三十五分休憩

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