【バック№:10/01/25】「2010年安保闘争」の実態

シェアする

昨日、名護市長選は、普天間移設反対派が勝つという残念な結果になりました。今後、反対派は、名護市議会で普天間基地移設受け入れの反対の決議をあげ政府に提出すると言います。

しかしながら、1月16日に行われた保守派のデモをはじめ、左派の日米安保破棄の活動を阻止し、沖縄を守り、日本を守る活動は始まったばかりです。まだ、この名護市長選の結果で、普天間基地県外移設が決まったわけではなく、私たちの戦いは終わったわけではありません。今後の活動展開も、いろいろと考えていますので、さらに情熱を持って頑張ってまいります。今後も協力をよろしくお願いいたします。

さて、今後の左翼の動きを少し説明しておきましょう。

■「2010年安保闘争」の実態

今、中国の対日工作が仕上げの時期に近づいており、左翼活動家は、日米安保条約の破棄をねらって、様々な活動を行ってくることが予想されます。

いろいろ調べていると、彼らは今年は、大規模集会、選挙支援、言論人(大江健三郎その他数百名)の声明などを行い、普天間基地撤去撤去のキャンペーンを行ってくることがわかりました。

また、これらの運動の実態は、「2010年安保闘争」であることもこれまでのメルマガでお話したとおりです。

60年、70年安保闘争の時と環境が大きく変わった点が2点あります。
(1) 沖縄が復帰した(1972年5月)
(2) 中国と国交が回復した(1972年9月)

この2点の違いにより安保闘争も次のように形を変えたのだと思います。
(1)舞台が東京から沖縄にかわった
(2)立てこもる場所が安田講堂から辺野古に変わった
(3)運動家が学生から、社会的地位を確立した言論人、労働組合のリーダーになった。
(4)ゲバ棒とヘルメットの学生が工作活動で構築した「左翼マスコミ」「左翼言論人」「左翼運動家」「左翼政治家」にかわった。

誰もまだ報道しませんが、普天間基地撤去運動は「2010年安保闘争」であることは間違いありません。そして、政権与党にこの安保闘争のリーダーがいるということも大きな危機です。

60年、70年安保闘争と異なり、2010年安保闘争は、一見誰もが反対できない巧みな方法で行われてきます。マスコミも政治家も市民活動家が合同でチームとしておこなってっくるので、多くの国民が洗脳されたかのようにだまされてしまいます。

だまされないためには、真実の情報を共有するためのネットワークが必要です。特に、沖縄の情報は重要です。
2010年安保闘争は、沖縄とのネットワークなくして戦うことが不可能なのです。

下記に安保闘争と思われる活動例を記しました。

JSN代表 仲村


~~~~安保破棄へ向けた活動例~~~~

【普天間基地移設問題】
<シナリオ>
沖縄県民は基地負担に苦しんでいる>普天間基地の無条件撤去を全国民の運動へ>米軍再編へ致命的な影響>日米安保破棄へ

<集会>
●集会名称: 「普天間基地はいらない 新基地建設を許さない 1・30全国集会」

●普天間基地即時閉鎖 緊急集会
18:30~ エルおおさか  講師:新崎盛暉さん 仮テーマ「戦後日米関係の転機としての普天間問題」
報告:服部良一さん 800円 主催:沖縄とともに基地撤去をめざす関西連絡会

●沖縄上京団を迎えてー 普天間基地はいらない 新基地建設を許さない 1.28大阪集会
PM6:30~ 中之島中央公会堂 平和人権センター・しないさせない戦争協力関西ネットなど

<言論人>
<県内移設 反対声明 大江健三郎氏や宮本憲一氏ら 識者340人>
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-01-19_1805/

【各密約問題】
<シナリオ>
沖縄返還時に佐藤首相が核密約を交わしたという問題>沖縄は蔑視されたと県民をあおり >安保見直し論>「日米安保条約を平和友好条約へ」>こじれて破棄 or 実質安保破棄へ

以上です。