【八重山日報連載記事】■祖国復帰の先導者大濱信泉 〜佐藤栄作総理大臣の沖縄返還交渉のブレイン〜(第4回)

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■教育権分離返還論言

昭和40年8月、沖縄返還を政治生命をかけて実現することを、沖縄訪問という行動で示した佐藤総理ですが、この時点では返還への青写真も道筋も存在しませんでした。沖縄返還の具体論としては、中曽根康弘氏の軍事的重要性の低い先島諸島を先に返還させる地域分離返還論、森総務長官の施政権の機能的分離を考え、基地と直接関係の無い教育権を先に返還してもらうという教育権の機能的分離返還論があっただけで、本格的な交渉も検討も行われていませんでした。

そのような中、昭和41年8月、ひとつの歯車が周りはじめました。第二次佐藤内閣の総務長官に就任した森清氏は沖縄を訪問し各界代表との懇談を行い、そのあとのホテルで行われた記者会見での発言です。「沖縄に対する施政権全面返還を推進する手始めとして、まず、基地とは直接関係のない教育権の返還をアメリカ政府に対して強力に要求する」というものです。これは、新聞、テレビニュースは突如打ち出された森提案として一斉に大きく取り扱われました。

それはサンフランシスコ講和条約が調印され、批准される前に大濱がダレス全権に申し入れた「沖縄の教育は理念的にも制度的にも日本本土と同一でなければならない。」というのと同じものです。当時の沖縄の実態は、教育権を返還されてはいないものの、沖縄の教育の内容も制度もほぼ本土の教育と同じように行われていました。森はこの実態があるからこそ、施政権の分離返還が可能だと考えたのでした。

翌月の9月、その理念や具体的な手順をまとめるため、各界第一級の人が委員となって総務長官の諮問機関、沖縄問題懇談会が発足し、大濱が座長を務めることになったのです。検討は精力的に進められ、大濱は施政権全面返還要求に対するすり替えであり、結局現状固定論だとの反対の声があがった沖縄にも飛び、意見の調整を図りました。ところが、昭和42年1月、佐藤首相が滋賀県大津で総選挙の遊説をおえたあと、事件がおこりました。

教育権分離返還を断念させた佐藤首相の大津発言

佐藤総理は、同行記者の質問への回答で次のように答えたのです。

「沖縄返還はあくまでも施政権の全面返還がねらいであって、部分的なとりくみでは、到底その根本的な解決にはならない」

これは、森構想を頭から否定するものであり、閣内の不一致であるとしてマスコミに大きく取り上げられたのです。マスコミのあまりにも大きい反応にもっとも戸惑ったのは佐藤総理本人でした。佐藤は秘書を通じて、大濱にメッセージを伝えました。「新聞は必ずしも自分の真意を伝えていない。施政権の一括返還が望ましいと言ったのである。いずれ選挙が終わり次第、ゆっくりその事情を話すから誤解のないように」というのがその内容でした。

この伝言を聞きながら、大濱は考えました。「たとえ大津発言の経過がどうであろうと、ひとたびこんな形になってしまった以上、教育権の分離返還問題を政府の外交課題とすることはおそらく不可能であろう。そうだとすれば、佐藤首相と合ってその釈明を聞くだけでは全く意味がない。したがってこの際、現在は総務長官の諮問機関となっている沖縄問題懇談会を、報告の提出とともに解散し、一歩進めてこれを強化拡大し、首相の諮問機関とする。もちろんここでは施政権返還の進め方などを論議することする。」

 選挙が終わって三日後、大濱は総理官邸で佐藤首相と合いました。首相はくどいほど大津発言の弁明をくりかえしました。大濱は説明を聞いた後、かねての考えを述べました。あの発言で沖縄県民は大きな不安を感じ、米国側も首相の真意を測りかねているに違いない。したがって、この際、高い次元に立った沖縄対策の基本方針を策定する必要があり、その具体的措置として、沖縄問題懇談会を首相の諮問機関として格上げすることを提言したのです。

返還交渉の下地づくりのための訪米

  佐藤総理は、即答を避けましたが、同席していた木村俊夫官房長官は大いに興味を示し、数日後、大濱に具体的な構想案をまとめてくれるよう要請してきました。大濱は早速、新構想の検討にはいり、「沖縄問題審議会構想(大濱私案)」としてまとめました。

 続いて、3月から5月にかけて、南方同胞援護会の第三次渡米団として訪米し官民百人を超える人に会いました。その目的は、日本側の主張を米側に訴え、考慮を促すとともに感触を探り、今後日本政府が沖縄返還交渉をする際の下地をつくることにありました。

大濱が米国側に主張した概要は次のとおりです。「米国にとって沖縄が重要なのは軍事的理由によるもので施政権というのは基地の維持、その使用の自由を保証する手段にすぎないはずだ。」「独立の民族国家が一部を切り離して他国に統治されるのは、民族的感情から耐え難いものがある。経済的援助で相殺されるものではない。」「沖縄では祖国復帰運動が年を追って盛んになり、放置していると、基地は敵国の中の基地となり維持することすら困難になってしまう。」「そこで、施政権を日本に返還し、一日も早く沖縄をその本来の姿に戻すほうが米国にとっても得策であり、日米の強力を円滑に進めることができる。」というものです。

 大濱等はこのような説明をしたところ、一年前にはそっけなかった米国側が今回は、大きく空気が変わり、大いに耳を傾けるようになっていたのです。

大濱は帰国後佐藤総理に報告し、6月9日には参議院沖縄問題に関する特別委員会に参考人として発言もしています。そこでは、上記の内容を報告した後、「沖縄返還交渉についてイニシアティブをとるべきは日本であって、米国から返還を提案してくることはない。」「政府内部に沖縄問題を全般的に高い次元で検討する審議会を設置し、政府の方針を確立すること」を要請したのです。

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