■【産経ニュース報道】(参議院議員山田宏先生のご講演の要旨)「中国の琉球統治証拠なし」それでも中国の片棒担ぐ 沖縄・翁長雄志知事と「琉球新報」「沖縄タイムス」

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「中国の琉球統治証拠なし」それでも中国の片棒担ぐ沖縄・翁長雄志知事と「琉球新報」「沖縄タイムス」

http://www.sankei.com/premium/news/170908/prm1709080001-n1.html

全国紙ではほとんど取り上げられることの無い「沖縄の歴史戦」ですが、8月26日に沖縄県浦添市で開催した「県政奪還県民大会」での参議院議員山田宏先生のご講演の要旨を産経新聞那覇支局長の高木様が大変分かりやすくまとめて産経ニュース(ネット版)に掲載してくださいました。

そのご講演の内容は、当フォーラムの活動の集大成が込められているといって過言で無いほど内容が濃いものとなっています。

また、尖閣諸島の歴史戦でご活躍されている、長崎純心大学の石井望准教授の重要な研究成果も含まれています。

是非、ご一読いただき、よろしかったら拡散のご協力をお願い致します。

(一般社団法人日本沖縄政策研究フォーラム 理事長 仲村覚)


中国が琉球の歴史的な日本への帰属を否定し、わが国からの沖縄県の「分断=独立」を画策していることは周知の事実だ。あろうことか、中国が日本に仕掛ける“言われなき歴史戦”に、翁長雄志(おなが・たけし)知事と「琉球新報」「沖縄タイムス」の地元2紙が加担しているのも現実である。こうしたなか、8月26日に同県浦添市で開かれた「県政奪還県民大会」で、自民党の山田宏参院議員が「中国が琉球を統治した証拠はない」と数々の史料の存在などを挙げて論破した。

◎真逆の2知事

「祖国日本の危機と沖縄の役割」と銘打った県政奪還県民大会は、日本沖縄政策研究フォーラム(仲村覚理事長)が主催した。山田氏は緊急国政報告で「沖縄の歴史戦の本丸」をテーマに約1時間にわたり講演した。

山田氏はまず、沖縄の本土復帰の実現に尽力した元琉球政府主席で初代の県知事を務めた屋良朝苗(やら・ちょうびょう)氏(1902~1997)が抱いていた日本国への熱い思いを披露した。

日本が主権回復を果たした昭和27年の翌28年2月。屋良氏は参院文部委員会での参考人質疑で、こう述べていた。

「沖縄の帰属問題は国連憲章やサンフランシスコ平和条約締結の根本的精神たる人道的立場や、民族的文化的、歴史的関係、県民の心情からしても祖国日本に復帰するのは極めて当然であり、本質的にこれをなんら拒む理由はない。われわれはこの確固たる大前提に立ち、若い世代の教育を進めていきたい。真実の日本人として祖国の教育を施していきたい」

この発言について山田氏は「革新のシンボルだった屋良氏は、教育者として子供たちを真の日本人に育てるために沖縄の1日も早い本土復帰を望んでいた」と評した。屋良氏の夢はその18年後に実現した。

翻って現在の翁長知事はどうか-。

翁長氏は平成27年9月、スイス・ジュネーブにおける国連人権理事会で、沖縄県民を「先住民族」に認定させる運動を展開するNGO「市民外交センター」のサポートを支援を得て演説し「沖縄の人々の自己決定権がないがしろにされている」と国際社会に訴えた。

山田氏はこの事実を指摘し「まさに琉球民族独立論に根差したもので、祖国の日本から離れて沖縄は独立すべきだという発言。屋良氏とは真逆の方向だ」と批判した。

中国と沖縄県紙

翁長氏の国連演説への布石になったのが、そろって琉球の日本帰属の歴史を否定する中国と沖縄県紙の主張だと、山田氏は言い切った。

翁長氏の国連演説から2年余先立つ25年5月のことだ。中国共産党機関紙「人民日報」が、中国社会科学院の研究者が執筆した「琉球の帰属は未定」など訴える論文を掲載した。時期をほぼ同じくして「琉球独立総合研究学会」が“独立派”の学者らを中心に沖縄県内に設けられた。

これに加勢するように琉球新報は26年7月、明治政府が明治12年に琉球を併合した「琉球処分」について「国際法上不正だ」「沖縄の主権回復の追及は今も可能だ」とする国際法学者の見解を大きく報じた。同紙は社説でも「自己決定権の保障を求める県民世論の大きな足掛かりとなろう」と論じた。

平成26年8月には、人民日報系「環境時報」は「琉球の帰属は未定。琉球を沖縄と呼んではならない」と題する論文を掲載した。

中国の沖縄に対する公式見解は「帰属は未定で解決しておらず、日本が明治時代に沖縄県を設置して強奪した」というものだ。

山田氏は警鐘を鳴らした。

「中国と翁長氏は対になって沖縄の独立に向けた世論調整を行っている。中国と手を結んで沖縄の独立を図っていく流れのなかで、翁長氏がどっぷりと先頭に立っている」

山田氏は、中国は沖縄独立に向けた工作に加え、尖閣諸島を含めた沖縄を奪うために(1)世論戦(2)心理戦(3)法律戦-の「3戦」を用いていると分析。「(版図拡大のために)中国には沖縄を中立化、無力化させておく必要がある。武器を使わないで相手(日本)を屈服されることを仕掛けてきている」と強調し、言葉を継いだ。

「琉球新報と沖縄タイムスも、中国の戦略の片棒を担いでいる」

歴史戦には歴史戦で

ところが最近まで日本政府の対応は極めて鈍かった。

第1次安倍内閣は平成18年11月、鈴木宗男衆院議員(当時)が提出した「琉球王国の地位」をめぐる質問主意書に対し、こんな答弁書を閣議決定していた。

「沖縄はいつから日本国の一部であるか確定的なことを述べるのは困難だが、遅くとも明治初期の琉球藩設置とこれに続く沖縄県の設置のときには日本国の一部であったことは確かだ」

つまり琉球処分後は日本の一部であるが、それ以前は分からないというのだ。

山田氏が28年10月の参院外交防衛委員会で政府側の見解をただした際も、岸田文雄外相(当時)の答弁はそれを超えるものではなかった。

講演で山田氏は語気を強めた。

「中国は日本のもっと以前から琉球を支配していたと言っているのに、これではけんかにならない。もともと沖縄は日本の一部を構成していたと主張しないと、中国の宣伝戦にやられてしまう」

「尖閣諸島にしても、竹島にしても、日本海の呼称にしても、『国際法上は確定している』というのが日本外務省のいつもの反応だ。国際法で正当であっても相手には関係ない。日本がなめられるだけだ」

「向こうが仕掛けてくる歴史戦には歴史戦で堂々と反論し、粉砕しなければならない」

◎動かぬ証拠

山田氏は28年10月の参院外交防衛委員会後、中国との歴史戦に勝つために外務省と調整を重ねた。「歴史戦という戦争に勝てる“武器”を探せ」と、外務官僚たちに、はっぱをかけた。彼らは省内に残る歴史的文書を徹底的に洗い直した。

「成果」は大きかった。山田氏は講演で「日本の琉球統治を示す膨大な資料があったが、当時、明国や清国が琉球を統治していた歴史的証拠はひとつもない」と明言し、日本の琉球統治を示す、外務省発掘の「動かぬ証拠」をこう列挙した。

  1. 1609年以降に薩摩藩が徳川幕府から琉球の管理を委任され検地を行っていた
  2. 中国側の資料で明国の高官が1617年に日本の統治を認めていた/li>
  3. 江戸時代に日本が唯一貿易していたオランダに対し、徳川幕府が琉球は日本の一部であり、琉球船から強奪しないよう通知した
  4. 明治12年7月に明治政府の寺島宗則外務卿が清国に対し「琉球が日本の島であることは久しく、地盤は長く連なっている。文字は日本のかな文字を使い、言語の文法、宗教、神社、風俗の一つもわが国のものでないものはない。日本の国史には中国の随の時代(日本の奈良時代)から琉球が日本に朝貢した歴史が記されている」と文書で伝えていた

これらの証拠をもとに山田氏は今年6月5日の参院決算委員会で、安倍晋三首相から「沖縄は数百年前から、わが国所属の一地方である」という答弁を引き出した。かつての鈴木宗男氏の質問主意書に対する政府見解を修正させることができた。

山田氏は「もう中国は日本に反論できない。政府の立場がはっきりしないと、外務省も戦えない。中国の3戦、歴史戦に臨むための日本の一つの基盤になる」と、その重要性を強調した。

その一方で山田氏は「これまで日本政府は歴史戦を避けてきた。だから、ありもしない慰安婦の強制連行を認めた河野洋平談話を出してしまった。まったくの大敗北だ。しかし不十分ながら、第2次安倍政権になって一歩進んだと思っている」と強調し、こう結んだ。

「沖縄県を支配しているメディアと、そのメディアが誕生させた現知事によって『かりそめの変な沖縄』になっている。しかし県民の本当の気持ちの底流には、日本国民の一部としての良識がしっかりとある」

以上

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