寄稿論文■夕刊フジ連載(2)移設反対派のシンボル・辺野古テント村の実態

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辺野古テント村の実態

 米軍普天間飛行場の移設反対派にとって最大のシンボルといえば、名護市辺野古の「テント村」である。8年以上前から座り込みが続けられ、地元住人がこぞって反対しているような印象を全国に広めている。

 「米軍基地撤去」を掲げる野党の国会議員が沖縄を訪ねた際は、辺野古漁港にあるテント村を激励する報道も見られる。本土からの修学旅行生の見学コースの1つにもなっている。

 沖縄県民ですら「辺野古の人たちは移設に反対している」とだまされているが、前回記したように、辺野古区の住民は、普天間移設先である地元の米海兵隊キャンプ・シュワブと歴史的に友好な交流を続けており、移設を条件付きで容認している。

 では、テント村の実態とは何なのか。

 私は辺野古漁港で漁業を営む人々に確認したが、彼らは「テント村には辺野古区の住民はいない」と断言していた。テント村は「ヘリ基地反対協議会」という団体が、名護市が管理する漁港施設の一部を不法占拠してテントを設置し、全国の市民団体などに呼びかけて座り込みを続けているのである。地元とはまったく関係がないのである。

 逆に、辺野古区の住民はテント村に不快感を示し、「テント村を撤去してほしい」と団体側に要求してきた。らちが明かないため、辺野古区の区長は2012年3月、テント村の撤去を求め、区民763人分の署名を名護市の稲嶺進市長に提出している。

 当時の全国紙の記事を見ると、普天間移設に反対している稲嶺市長が「話し合いで解決できる方向を模索したい」と応じたのに対し、辺野古区民からは「早く解決しないと、実力行使をしようという若者も出かねない」という激しい意見まで出ている。

 こうした経緯があるのに、沖縄メディアはいまだにテント村について、「辺野古移設に反対する住民らの座り込み」などと伝えている。沖縄メディアが伝えるテント村のイメージは、実態と180度違う。

 テント村といえば、東京・霞が関の経産省前の国有地を不法占拠している反原発のテント村がある。国は今年3月、撤去を求めて東京地裁に提訴したが、稲嶺市長は違法状態を放置し続けるのか。

 キャンプ・シュワブのフェンスには、移設反対派がリボンやメッセージを書いた布などを貼り付けている。そこには団体名などが書かれているが、それを見ると、ほとんどが本土から来た人たちであることが分かる。

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