JSN■沖縄祖国復帰協議会は安保闘争の沖縄現地闘争本部だった

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■沖縄祖国復帰協議会は安保闘争の沖縄現地闘争本部だった
実は、本土の70年安保闘争と沖縄の沖縄祖国復帰運動は、連動して動いていました。復帰前の沖縄に本土から多くの安保闘争運動家がなだれ込んでいたのです。当時、運動に参加している人もほとんど見抜けなかったのですが、沖縄祖国復帰協議会は、実質的に安保闘争の沖縄現地闘争本部だったのです。

つまり、沖縄復帰運動を利用して、日本の赤化を狙い安保条約を破棄させようとしていたのです。そのために、安保継続での沖縄返還の実現がみえてくると、「沖縄返還協定粉砕!」まで言うようになったのです。日の丸運動で、沖縄県民を巻き込み、その後オルグして、最後には赤旗を振って「安保反対」、「復帰反対」と言わせたのです。

祖国復帰が実現する事により、彼らは敗北したと思っており、いまだに悔しさが残っているのです。その時の最大活動組織が、現在の沖教組です。

■5月15日を「反米闘争の統一行動日」とする沖縄の平和運動(反米運動)組織
http://www.peace-forum.com/houkoku/090517.jpg

安保闘争で敗北した彼らは、沖縄が祖国日本に復帰した後、5月15日を決して祝う事はありません。
「沖縄県民が願う復帰ではなかった。」
「日米両政府に米軍基地を押し付けられた」
と言い続け反米、反基地活動を連綿と続けています。

そして、毎年5月15日前後には、普天間基地を包囲したり、赤い旗を持って行進したりしています。悲しい事に、沖縄県では、このように毎年5月15日が基地反対運動の統一行動日となっています。沖縄県でも祖国復帰をお祝いする公式行事は5年に一度の開催のみで、毎年開催されてはいません。

来年は40周年にあたりますが、県庁に問い合わせたところ、開催は検討しているがまだ決まっていないとのことです。

■沖縄の祖国復帰は奇跡的に実現した
祖国復帰できた事が当たり前のように思う事から間違いが始まっています。
まず考えられるケースは、沖縄は返還するが、日米安保を破棄するというケースです。これは、沖縄祖国復帰協議会が望んでいたシナリオです。

彼らは沖縄が復帰するところは、日米安保の無い日本であり、日の丸の白地が全部赤くなった旗を掲げる国に復帰するのだと考えていたのです。

最も可能性が高かったシナリオは、「沖縄返還協定粉砕」を訴える沖縄県民の声におされて、日本政府が批准を断念する事です。沖縄県民が望まないのに「強行採決」する大義は見えなくなっていたのです。その結果、日米安保は残るが沖縄の復帰は見送られるという事になりかけていたのです。

このような危機を乗り越えて、危機一髪のところで、自民党の強行採決により、沖縄の祖国復帰が実現したのです。
(祖国復帰の実現についての詳細は、下記動画を御覧ください。)

<4・3緊急国難セミナー「誰も知らない祖国復帰の真実」仲村俊子)>

沖縄の祖国復帰は、日米両政府の首脳や裏で命がけで尽力してくださった、官僚の方々そして名もない多くの人の努力で成し遂げる事ができたのです。そして、その恩恵をいただいているのが、現在の沖縄県民であり、日本国民なのです。

■唐淳風のプロパガンダから沖縄工作を見抜く
一方、沖縄侵略を狙う中国では、沖縄の復帰や基地反対運動がどのように解説されているのでしょうか?
昨年の9月17日に唐淳風(商務部研究員日本問題専門家)が環球時報で発表した「日本には中国と釣魚島について交渉する資格はない」という論文では、沖縄返還の事について次のように説明しています。
「米国の決定をくつがえす力がなかった琉球人は、数万人が中心広場に集まり号泣した。そして日本の侵略者を追い出そうと誓い30年以上が過ぎたが、日本を追い払い独立を勝ち取ろうとする戦いが中止されたことはない。」
沖縄県民なら、こんなのは真っ赤な嘘だ!と言いたくなると思います。しかし、必ずしも真っ赤な嘘は言えないのが現実です。

まず、5月15日の祖国復帰当日に、広場に集まり泣いた人たちがいたのか調べてみました。そうしたら、何と復帰に対する抗議集会が開かれていました。沖縄が祖国復帰した昭和47年(1972年)5月15日、那覇市民会館で日本政府主催の「沖縄祖国復帰記念式典」が開催されましたが、隣の与儀公園では、「沖縄処分抗議、佐藤内閣打倒、5・15県民総決起大会」という集会が開催されていました。

人数こそ2万人はいませんが、唐淳風が言う、「中心広場にあつまり号泣した」というのはこの沖教組や労働組合をコアとする沖縄祖国復帰協議会の人たちの事をいっているに違いありません。

そして、彼らは復帰後も地元マスコミと一体となって、「反基地」「反自衛隊」運動を続け、更に、「日本が琉球王国を滅ぼした」「沖縄県は日本軍の被害者」「沖縄は日米両政府が基地を押し付けられた」と言い、集会やデモを休む事無く続けています。

これも、唐淳風がいう、「日本の侵略者を追い出そうと誓い30年以上が過ぎたが、日本を追い払い独立を勝ち取ろうとする戦いが中止されたことはない。」という理論の戦っている人たちの事になるのだと思います。

このように、中国の琉球独立プロパガンダは、沖縄の左翼運動と非常に整合性がとれている事に気が付きます。これは、中国の沖縄工作が彼らのシナリオどおり進んでいる事を意味しているのだと思います。

■沖縄祖国復帰を祝う事が沖縄を守り日本を守る
沖縄では、祖国復帰というと、米軍基地問題と関係した報道しか行いません。沖縄のマスコミの報道は、中国の意図を代弁しています。
そのため、「沖縄にとって祖国復帰とはなんだったのか?」、「日本にとっての沖縄祖国復帰とはなんだったのか?」誰も深く考える事無く、40年近くが過ぎようとしています。

戦後最大の負の遺産であった、沖縄の米軍統治を終わらせ、その次に向かうべき日本の方向を示すことなく40年を無駄に使ってしまったのかも知れません。

■沖縄祖国復帰記念日を祝う事が沖縄を守り日本を守る
いま、中国は、軍事力だけではなく、沖縄の歴史と文化を利用して沖縄を侵略しようとしています。それに対抗する最も有効な手段が「沖縄祖国復帰を祝う」事です。日本人が祖国復帰を祝う事は極めて当たり前の事です。 

何故、それが有効な手段になるのでしょうか?それは、沖縄侵略を狙う中国が最もいやがる事は、「沖縄県民が日本人として誇りを持つ」事だからです。つまり、普通の日本人になる事です。琉球独立運動支援を大義名分にして、沖縄を侵略したい中国にとっては、沖縄県民は、日の丸を焼いたり、皇室を侮辱したり、米軍基地撤去運動をしてもらわなければ困るのです。そして、最も困るのは、沖縄県民と本土の人が一丸となって、祖国復帰をお祝いする事です。

だからこそ、日本国民全員が力を合わせて「沖縄祖国復帰記念日」をお祝いする事が沖縄を守り、日本を守るため事になるのです。

(JSN代表 仲村覚)