JSN■【動画】4・3緊急国難セミナー「誰も知らない祖国復帰の真実」仲村俊子(1/3)

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緊急国難セミナー「今こそ立ち上がれ! 祖国のために」
日時:4月3日(日)
開場12時30分 開演13時00分
会場:沖縄県護国神社社務所・会議室

4・3緊急国難セミナー「誰も知らない祖国復帰の真実」仲村俊子(1/3)

【要点】
<復帰運動をした時の気持ち>
・ 私たちは日本人だ!
・ 神に祈り、天に祈り、地に祈り、「沖縄が復帰できますように」という気持ちで復帰を訴えた。
<教職員会を脱会した理由=復帰反対、安保反対闘争へ変貌する教職員会>
・ 昭和28年頃から日の丸掲揚運動を行った。(教職員会長が屋良朝苗氏)
・ 教職員会で学校に日の丸掲揚賛成、反対のアンケートが回ってきた。賛成が多いので喜屋武真栄は再提出を指示。
オルグして国旗掲揚反対の回答を増やして再提出。
・ 婦人部長会議が名護であり、「今の日本に復帰するから復帰は口にするな」「安保反対だけを言え」
・ 教職員会が沖縄返還のために訪米する佐藤総理の訪米阻止運動を開始した。
・ 脱会を決意、結局尻込みする人が多くて脱会する決意をしたのはわずか6名
<新聞社に教職員会だった声明を発表>
・ ただで抜けては意味が無い。新報、タイムスに脱会声明を発表した。
・ 新聞社では連絡先を自宅にした。新聞社は圧力があるかもしれないですが大丈夫ですかと心配してくれた。
・ 新聞に掲載した翌朝は、激励の電話を沢山いただいた。
<「沖縄返還協定批准貫徹推進運動」を始めた理由>
・ 東京の菊地藤吉先生から「沖縄を復帰ができなくなるけどいいのか」と電話をいただいた。
・ しかし、運動をするような立場ではないし、経営者協会に運動依頼が来たとの話も聞いたから安心していた。
・ しかし、また菊地先生から電話がきた。「本当に沖縄が復帰できなくなるけど良いのですか?」
「国会で喜屋武真栄先生が与野党問わず、沖縄返還協定批准に反対するようにお願いをして回っている。
沖縄県民が反対するから無理に強行採決しなくて良い。」という雰囲気になっている
・ 立ち上がる事を決意。運動を企画、大会の開催と陳情団を編成を決めた。
・ 「子供を守る父母の会」と教職員会を脱会したメンバーと合流
・ わずか5名で陳情団を編成を企画
【参考資料1】
<「沖縄教職員会脱会声明」と「沖縄県教師連盟結成」の記事>
沖縄教職員会脱会:昭和44年(1969年)11月11日
沖縄県教師連盟結成:昭和45年(1970年)3月29日

<喜屋武真栄に対する抗議電の記事>

■抗議電文
「あなたの国会での発言は、善良なる沖縄県民の意思を踏みにじり、自殺行為を強いるものである。我々は強くこれに抗議し責任を追求する。」
沖縄返還協定批准貫徹県民大会実行委員会

<参考情報>
喜屋武真栄

末次一郎
https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-109035.html

<佐藤総理訪米前後の年表>
1969年6月23日:
沖縄県祖国復帰協議会、6月23日を積極的な反戦行動日として位置づける。
安保廃棄、B52撤去、即時無条件全面返還要求県民大会。
1969年11月11日:
仲村俊子 沖縄教職員会脱会
1969年11月13日:
核つき基地自由使用返還を企む、佐藤訪米反村、全県民スト決行、県民大会、那覇軍港へ抗議デモ、重軽傷者78人名を出す。
1969年11月13日:
沖縄協定批准反対中央婦人絵決起集会(東京)
1969年11月19~21日:
佐藤栄作総理訪米 ニクソン大統領と会談
1969年11月21日:
佐藤栄作総理大臣とリチャード・M・ニクソン大統領との間の共同声明
1969年11月26日
日米共同声明に抗議する県民総決起大会
1970年2月13~14日
安保条約廃棄、基地撤去、沖縄の即時無条件全面返還をめざす国民大会